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手わたしバナナくらぶニュース

2015年9月+10月No.232 東ティモール・コーヒー産地初訪問記

232 特集(5)

ラメラウ山

東ティモールのコーヒー(アラビカ種)は、標高800~1500メートルの高地に自生しています。その多くは、400年にも及んだポルトガルの植民地時代に持ち込まれたものです。日中は強い日差しが照りつけ、汗ばむ陽気。しかし、日が沈むと一転して肌寒くなります。そのような環境が栄養分を凝縮させ、美味しいコーヒーを作ります。

東ティモールのコーヒー産地エルメラ

港町の首都ディリから車で約3時間。東ティモール有数のコーヒー産地、エルメラ県があります。日蔭をつくるシェードツリーと呼ばれる高い木が至るところに生い茂り、その下には1~2メートル程のコーヒーノキ(コーヒーの木)が植えられています。朝晩は霧が立ち込め、幻想的な風景が広がっていました。東ティモールでは、都市部や主要道路の舗装は進んではいるものの、山間部では舗装されていない道路がほとんどです。ゆっくりとガタガタの道を進んでいきます。そんななか、すれ違う子どもたち。みな「Boa Tarde!(こんにちは)」と元気に挨拶します。見知らぬ人には挨拶しない日本から訪れた私には、とても新鮮な光景に感じました。

232 特集(6)

Boa tarde!

コーヒー産地の村々を訪ねました。同じエルメラ県といえども、その範囲は広く、一山も二山も離れたところに村が点在しています。そのため、一日に一つの村を訪れるのがやっとです。訪れた村では皆があたたかく迎えてくれました。村で取れたタロイモや野菜、現地では貴重なタンパク源の鶏肉を使ったスープなどと一緒に、コーヒーもテーブルに並びます。外国人に慣れていないのか、村の人びとは興味津々な眼差し。バレーボールやサッカーなどのスポーツが盛んで、大人も子ども混じりながら楽しんでいました。

エルメラのコーヒー農園
232 特集(1)

コーヒーの実を丁寧に摘みとっていきます

村ではコーヒーのほかにタロイモや野菜や果物などを栽培、収穫していますが、ほとんどの人がコーヒーで生計を立てています。村を訪れた6月中旬。天候不順により収穫が遅れていましたが、一部の農園では、コーヒーの赤い実(コーヒーチェリー)がたくさん付いていました。村の人たちは、真っ赤になった実を丁寧に、慣れた手つきで摘み取ります。収穫する木の一部は、急な斜面に植えられているところもあり、足場も悪く、移動するにも一苦労です。しかし、皆は涼しい顔をして収穫に励んでいました。収穫された実は大きなシートに広げられます。緑色の実、熟しすぎた実などは取り除き、赤い実だけ選別します。談笑しながら楽しそうに作業をしていたのが印象的でした。

232 特集(3)

果肉除去機にかける

選別された実は、果肉を取り除く手回しの機械(果肉除去機)にかけます。生産者たちは果肉を取り除いて出てきた種を逃さずに丁寧に扱っていました。ちなみに、私たちが飲んでいるコーヒーの原料は、この赤い実の中にある種です。産地では、水に24時間浸してぬめりを取り、発酵させた後、天日で乾燥させます。民家の庭先にはシートに広げられたコーヒー豆をよく見かけました。

首都ディリの加工場から日本へ

乾燥させた豆はトラックで首都ディリの加工場に出荷されます。加工場には3メートル程の大型機械があり、パーチメントと呼ばれるコーヒーの薄皮を脱穀します。その後畳1畳分くらいの大きなふるいにかけ、サイズ分けに入ります。コーヒーはサイズが均等なほど焙煎しやすく、また、サイズが大きいものほど美味しいと言われています。その後、加工場の近隣に住む女性たちの手によって割れた豆や黒ずんだ豆などの欠陥豆が丁寧に取り除かれます。欠陥豆が少しでも入っていると、コーヒーの風味に大きく影響してしまうのです。これらの工程を経て、ようやく日本に輸出されます。

東ティモールのアイデンティティ
232 特集(4)

生産者グループのみなさんと記念撮影(左端が筆者)

東ティモールのコーヒー産地では、電気や水道や道路などのインフラ整備がまだまだ整っていません。また、ポルトガルの450年にも及ぶ植民地支配、第二次世界大戦中の日本による占領、さらに1976年からのインドネシアによる強制併合と、2002年に独立(主権回復)に至るまでの過酷な歴史があります。しかし、東ティモールの人びとは、主権を勝ち取った自分たちの国に誇りを持っており、笑顔で暮らしていました。

東ティモールのコーヒーは独特の苦味とほのかな甘みが特徴です。まさにこの国の人々の力強さと優しさを表現しているように感じました。

中村智一(なかむら・ともかず/ATJ)