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2010年7月13日~18日東ティモール・農村の暮らし 《レポート3》

★今回は、コーヒー産地以外の農村の暮らしをレポートします!

■訪問地

リキサ県マウバラ郡ヴァビキニア村
APLAとのつながり: 女性のエンパワーメントに取り組むローカルNGO・HAFOTIの活動メンバーが暮らす地域

■どんな場所?

マウバラ郡ヴァビキニア村は、ディリ市内から海岸沿いを2時間ほど西に向かった場所にある。村の人がディリに出る時は、乗合バス(片道3ドル)やバスをつかうが、基本的に海沿いの舗装された道で、山間の地域に比べると大変ではない。リキサ県の中心であるリキサ市を通り過ぎれば、残り30分弱でヴァビキニア村に到着する。
村は海岸沿いから丘陵地を上がっていく形で広がっており、村の中心には市場(週2回ほど開かれる)や小売商店が並んでいる。基本的に電気は通っているが、頻繁に停電がある。水は山からひいてきているが、乾季は(特に低地の方は)十分な水が得られないことも多いという。

歩いてすぐの海岸ではきれいな夕焼けが。

村を流れる川も乾季には水がない「道路」に。

■ホームステイ先

家族全員揃って「イダ・ルア・トル(1・2・3)!」

今回ホームステイをさせてもらったのは、HAFOTI(Hamahon Feto Timor Leste:東ティモールの女性グループのネットワーク)に参加している女性グループのリーダーであるドミンガス・ミエルタさん(46歳)のお宅。お連れ合いのマヌエル・ゴンザレスさん(47歳)と子ども7人、そして住み込みで家事などを手伝う若い女性と暮らしている。長男はディリの大学に在学中、長女は高校卒業後進学させるお金がなく女性グループの活動に参加、それに高校1年、中学1年、小学4年、小学3年、小学2年、就学前の6人の男の子と続く。

マヌエルさんの祖先はマウバラのリウライ(小王国の王)で、ポルトガル統治に頑強に反対していたそうだ。また日本軍の軍人を家に住まわせていたことがあり、そのことが原因で第二次世界大戦後にポルトガル当局により5年間投獄されていた経験を持ち、現在も墓地がディリ対岸のアタウロ島に残されているという。マウバラに墓地を戻したいが、お金がなく、日本政府に訴えたいと強調していた。

■家の様子

家は、コンクリートにトタン屋根と比較的しっかりした造りで、子どもが多いこともあり寝室が4つある。いっぽうで、独立後の治安が不安定な時期にドアを壊されて持っていかれるという事件があり、その後修復するお金もなく、現在もドアがないまま暮らしている。夜間はべニア板やトタンでドア部分をふさぎ、中から押さえをしている。

台所は母屋の裏にある別の小屋で土間にヤシ葺き。ほかの地域と一緒で、ここでも薪で料理をするので、料理時は煙が蔓延する。薪は近所で購入している(「地域にお金をまわすため」とミエルタさん。1束10セント)。電気は基本的に1日中通っているが、頻繁に停電する(特に夕方以降)ので、そのときのために、アルコールランプとろうそくが常に準備されている。わたしの滞在中も、停電にならなかったのは一晩だけだった。

家庭の事情で実家を離れたジュリーナさん(23歳)という女性が一緒に暮らしていて、彼女が料理や洗濯などの家事の大半を担っているが、子どもたちもよく手伝う。

ドラム缶にためた水で洗い物。

「自分の服は自分で洗わなきゃ」

水事情はあまりよくない。山の方から細いパイプで地域に水が引かれているが、乾季に入ると常に水が出るわけではなく、ミエルタさんの家では水が出るときにまとめて3カ所(炊事場、水浴び場、タンク)に溜めておき、それを随時利用する。料理や飲料用の水もこの水で、空きタンクで台所にためてあった。ここでも沸かした水を飲んでいるが、外国人のわたしのために毎日キオスでミネラルウォーターを購入してくれていた。
水浴び場(兼トイレ)があるが、小さな子どもたちは外に設置されてあるタンクで直接水浴びすることの方が多い。高校生の男の子が末っ子たちの水浴びをさせている姿はほほえましい。洗濯もそのタンクの脇でおこなっていた。基本的にジュリーナさんがまとめて洗濯していたが、上の3人の子どもたちは自分の服を自分で洗っている姿もみかけた。洗剤はキオスで購入する合成洗剤で、使った水はそのまま流している。

台所前がマヌエルさんの定位置。コーヒーとタバコ片手におしゃべりが続く。

電気は通っているが、基本的に部屋や台所の電球、携帯電話の充電に使用している以外に電化製品はない(扇風機があったが、わたしの滞在中は使用していなかった)。 マヌエルさんの趣味はラジオでニュースを聞くことで、朝晩は小型のラジオ(乾電池)を片手にコーヒーを飲みタバコをふかしている姿をよくみかけた。
家の中には、食事用の机があるが、普段はあまりつかわず、各々が外に椅子を出したり、テラスに腰掛けて食べたりしている。各部屋にはベッドと物置の棚、小さな机などが置いてあり、ティーンエージャーの子どもたちの部屋にはお気に入りの歌手のポスターなどがたくさん貼ってあった。各部屋にもドアはなく、カーテンがかかっている。 他の村でもそうだったが、基本的に家の中にいるよりも、テラスや台所の前にプラスチックの椅子を出して、くつろぐスタイル。お客さん(近所の人や親せき)の訪問も頻繁にあって、タバコや噛みタバコでもてなし、おしゃべりに花が咲く。

■食事

日常の食事は朝、昼、晩の3回。独立後~2004年ころまでは経済状況が厳しく1日1食ということも多かったが、現在は子どもたちにもお腹いっぱい食べさせることができていることが何よりだという。
朝は毎日コーヒー、パン(近所で買ってくる)、イモ類(キャッサバ、サツマイモなど)、ピーナッツ菓子(ここの女性グループが生産しているもの)。イモ類がゆであがるのを待つなどで朝9時~10時ころと少し遅めだが、子どもたちは8時前にはパンだけを食べていることが多かった。Kiarというアーモンドに似た形のナッツ類をパンと一緒に食べるのもこちらの食べ方のよう。コーヒーも自分たちで生産したもので、ネスカフェは一度も見かけなかった。ペーパードリップでもネルドリップでもなく、コーヒー粉を溶かしたお湯を漉し器で漉して、砂糖をたっぷり入れて飲む

ある日の朝ごはん。ナッツとおイモ、止まりません!

昼は14時ころ、女性グループの仕事がひと段落したところで皆一緒にとり、夜は20時~21時ころのことが多かった(普段は、子どもたちだけ先に食べて、夫婦2人は子どもが寝付いてから2人で食事するという。22時ころのことも多いと言っていた)。子どもも大人も、小腹がすくと朝食の残りのイモ類などをつまんでいる姿、ゆでたトウモロコシがたくさんあるときにはそれを食べている姿をよく見かけた。「家族そろっていただきます」というスタイルではない。
昼食・夕食は基本的に、主食の白米ご飯におかずが2~3品ほど。野菜のおかず以外に、海が近いので魚が登場することも珍しくないようだ。Masakoと味の素をつかうのは他の地域と同様。

滞在中のメニュー例は以下のとおり。
【晩ごはん】
1.白米ご飯、Saboko(伝統的な魚料理)、オムレツ、空芯菜炒め(昼の残り)、キドニービーンズとマカロニのスープ(昼の残り)、唐辛子とエシャロットを混ぜた甘辛ソース
2.白米ご飯、焼きトビウオ、揚げトビウオ、トビウオの頭のスープ、唐辛子とエシャロットを混ぜた甘辛ソース
3.白米ご飯、揚げ魚(赤い皮の白身魚)、魚のスープ(同左)、揚げエビ(川エビ)、辛いピクルス
4.白米ご飯、バナナの花とキャッサバの葉っぱの炒め物、オムレツ(家で飼っている鶏の卵)、辛いピクルス
5.白米ご飯、青菜の炒め物、オムレツ(家で飼っている鶏の卵)、ツナ缶を温めたもの、海藻マリネ(昼の残り)、パパイヤ

【昼ごはん】
1.白米ご飯、ハヤトウリと人参とツナの炒め物、葉っぱの炒め物、辛いピクルス
2. Katupa(ヤシで包んで炊いたウコンライス)、ゆでトウモロコシ、焼き魚
3.白米ご飯、ハヤトウリと青菜の炒め物、オムレツ
4.白米ご飯、キドニービーンズとキャッサバと青菜のスープ、海藻マリネ

家の脇にトウガラシやウコン、果物の木、食用可能な葉っぱ(血圧を下げるのにいい)がつく木などが植わっているが、それ以外に野菜などはつくっておらず、市場や知り合いから購入している。豚を2頭、鶏を10羽ほど飼っており、鶏が卵を産む(台所にある籠のなかで)ので、卵は購入しない。豚は子豚を1頭15ドルくらいで購入し、大きくなると90~100ドルで近隣の市場で売れる。「2009年11月頃に70羽ほどがfluにかかって死亡した。農業省の役人に聞いたが、東ティモールには有効な薬がない」とマヌエルさん。マヌエルさんは家畜を育てるのが好きで、昔は馬やヤギなどもいたが、99年の騒乱時に避難した際に、家畜を連れていくことはできなかった。

ある朝、「邪魔しないでよ」と鶏さん。

その数時間後には…。

集落の中心部では、週2回(金・土)市場が開かれ、野菜や果物などが並ぶ。日々必要となる調味料などは、近所のキオスで購入する。10人が暮らしている家族だが、35kgの米1袋(16.50ドル)が約3週間でなくなる。油は5リットル(6ドル)を1カ月もたせるように節約してつかっている。砂糖は現在(ディリ→東ティモール全体)で価格上昇中&入手困難のようだ。原因については不明だが、船の遅延が可能性として考えられる。

■ミエルタさん率いる女性グループの活動

バナナチップス用のバナナは、皮をむいて薄くスライスする。

前述の通り、ミエルタさんはHAFOTIに参加する女性グループのリーダーであり、マウバラ郡で32人の女性+15人ほどの女の子たちを組織化している。その行動力などが評価されて、去る7月のHAFOTI総会で運営委員長に選出された。
ミエルタさんたちのグループでは、1.食品加工(バナナチップ、タマリンドキャンディ、味付きフライドナッツ、フルーツジャム)、2.薬用石けん、3.ヴァージンココナツオイル、4.ハンディクラフト(ヤシの葉をつかった編みもの)の4つの部門に分かれて活動している。4以外は、ミエルタさんの家の裏のスペースにメンバーが土日に(オーダーによってはそれ以外の日に集まることも)集まって共同作業をしている。近い将来に独立した作業センターをつくることが目標。大体10~11時ころに作業を開始し、14時ころの昼食をはさんで、16~17時には作業終了というパターンが多かった。重労働も多いが、井戸端会議の場にもなっており、「キツイ」だけの仕事ではない印象を受けた。

女の子たちは、学校に行く前や学校帰り、また休日に集まってきて、石けんの包装や食品のパッケージングなどを中心に手伝いをする。1人に50セント/半日を払っているので、彼女たちにとってはおこづかい稼ぎ(文具やおやつを買う)になる。子どもたちも友だちと一緒なので、楽しみながら仕事をしている感じ。小学生高学年が中心で、中高生も少しいる。ミエルタさんの1人娘のエリザも高校に通っている間からグループの仕事に加わっており、高校を卒業した現在は女性グループの活動を担う1人となっている。

報告:野川未央(のがわ・みお)

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