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2014年11月19日~30日フィリピン・北部ルソンから、ギルバートさん初来日

2014年11月19日~30日にかけて、フィリピン・北部ルソンで活動を共にするギルバート・クミラさんが来日しました。ギルバートさんは、ヌエバ・ビスカヤ州のマラビン渓谷で柑橘栽培を営んでいる農民です。

みかんの村からやってきました
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「サツマ」について説明するギルバートさん。

ギルバートさんは、世界遺産でも知られるバナウェの棚田を作った先住民族として知られるイフガオ族です。出身はイフガオ州のキアンガン。キアンガンは第二次世界大戦時、山下泰文将軍が降伏した場所として知られています。キアンガンの人口が増えたことにより、多くの人が再定住の地として南へ移住し、ギルバートさんの両親もマラビン渓谷にやってきました。当時は何もなく、開拓するところから始まったそうです。大学を卒業したギルバートさんは、教育を受けていない両親を助けながら、マラビン渓谷の発展に寄与してきました。現在地域の人たちが栽培している主な作物は、現地では「サツマ」と呼ばれる温州みかんです。1970年代に日本から16種類の柑橘が持ち込まれ、そのうち6種類がマラビン渓谷の気候に合うことが分かったそうです。当時、ギルバートさんの両親世代の人たちは、栽培方法が分からなかったそうですが、90年代に柑橘栽培の指導が入り、ギルバートさんは地域の仲間15人と栽培を開始しました。その後、「サツマ」は、酸味と品質のよさでマニラで大人気に。当初は柑橘栽培に懐疑的だった人たちも次々に栽培を始めました。苗は買うと高いので、自分たちで苗木を育てて分け合ったのだそう。栽培技術も地域の仲間と集まって勉強し、協同組合も設立。自分たちで販売も開拓してきました。

協同組合は、地元行政とも上手に付き合い、村までの道の一部を舗装することにも成功。マラビン渓谷は、低地に位置する近隣の町ソラノやバヨンボンから、山道かつ悪路を登ってようやく到着するところにあります。5年前に訪れたときには道は舗装されておらず、雨期だったため、車体を高く改造した四駆のジプニー(乗り合いバス)でも道を上がることができず、上からワイアーで引き揚げてもらってようやく通行できる始末でした。こうした状況での柑橘の出荷は大変だったと思います。そこを協同組合で行政へ働きかけ、今では道の半分程度が舗装されたのです。

以前、ネグロス島の農民と一緒にマラビン渓谷を訪れた際、行政との連携や協同組合での働きに教えられることが多々あり、みんなで感心したこともありました。

日本で刺激を受ける

軌道に乗っていた柑橘栽培ですが、ここ数年収量が落ちているそうです。最近では、病虫害がひどくなり柑橘から別の作物の栽培へと転換している人も少なくはありません。気候変動の影響も疑われているものの、虫が蔓延している原因は特定できないとのこと。柑橘栽培が盛んになってから、農薬・殺虫剤を使った栽培が生態系のバランスを崩し、気候変動の影響と相まっているのかもしれません。

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静岡県の村上園さんの堆肥作りを視察。

こうしたなか、2012年にギルバートさんの農場にBMW(バクテリア・ミネラル・ウォーター:注)のプラントが設置されました。地域循環を創り出す取り組みがマラビン渓谷でもできるか、まずはギルバートさんが実践してみることになったのです。14年11月には東京でBMW技術協会・第4回アジア大会が開催され、それに参加するためにギルバートさんも来日。大会では、日本も含め、韓国、インドネシア、中国などの実践例を聞くことができ、どの参加者も土、水、自然生態系を守ろう、取り戻そうという気概に満ちていて、大いに刺激を受けたギルバートさん。大会後には、茨城、山梨、静岡でBM活性水を利用して実践している現場を訪問しました。感想を聞いてみると「みんな土づくりをしっかりしているのが素晴らしい。フィリピンでは、自分で堆肥を作る人はほとんどいないけれど、やってみたい」という答えが返ってきました。訪問先のひとつ、静岡の村上さんは「ミカンやお茶を作るのは自分の仕事の二番目。まずはいい堆肥を作って土をよくするのが一番の仕事」と話してくれました。ギルバートさんの中にも発想の転換があったと感じています。

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フィリピンで2番目に大きい市場の代表も務めるギルバートさん。日本の直売所の仕組みにも興味があり、マーケティングのノウハウも学んだようです。

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山梨県の白州町を訪問。大根を畑でほおばる。

 

まずは土づくりから
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森林伐採された山と森が残っている山がはっきりと分かる。

もともとイフガオ族は自然と寄り添って生きてきた人たちですが、マラビン渓谷周辺では、70年代から森林の不法伐採が始まり今ははげ山となってしまいました。また、山では銅やモリブデンが取れるため、オーストラリアの企業が鉱山開発を進めています。周辺に住む他の少数民族の人たちは、焼き畑農業で山を切り崩しながら農業をしています。そうしたなかでも森を守ってきたのがイフガオ族。彼/彼女たちが住む地域には、木々が残っています。

今回の日本の旅では、有機農業の現場をたくさん視察しましたが、フィリピンではほんのここ数年、ブームのようにして有機農業がうたわれるようになったばかり。ギルバートさんの周辺で実践している人はまだいません。特に果樹栽培はすぐに有機農業に転換するのは難しく、知り合いで実践した人が失敗して破産してしまったそうです。それを見ると有機農業に転換するのは慎重になり、経済のことも考えると躊躇してしまうこともありそうです。しかし、日本をはじめアジア各地ですでに実践している人がいることを知ったことにより「まずは堆肥作りから始めてみたい」と語るギルバートさん。イフガオ族が守ってきた森と共存する地域が続くよう、急がず焦らず、これからもマラビン渓谷の動きに寄り添っていきたいと思います。

吉澤真満子(よしざわまみこ/APLA)

注:バクテリア(微生物)・ミネラル(造岩鉱物)・ウォーター(水)の略。バクテリアとミネラルの働きをうまく利用し、土と水が生成される生態系のシステムを人工的に再現する技術のこと。