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2016年9月23日(金)「農民発電で地域再生」開催報告

2016年9月23日、二本松有機農業研究会によるソーラーシェアリングのキックオフ集会「農民発電で地域再生」が開催され、二本松からメンバー6名も東京に駆けつけ、約70名近くの方々にご参加いただきました。城南信用金庫相談役・吉原毅さんの基調講演に続き、二本松有機農業研究会の大内督さん、近藤恵さんから、新たに始めるソーラーシェアリング設置までの道のりと概要が伝えられました。

以下、二本松有機農業研究会のお二人の講演内容です(NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワークまとめ・編集)。

大内督さん

◆震災後からの厳しい道のり

僕の父の信一は、45年前に有機農業を始めました。当時は、農業の近代化、生産重視で農薬をばんばん使っていた時代でした。しかしその頃から母が体調を崩すようになり、父は、これはおかしいと思い、近代化に逆らって有機農業に進む道を選びました。回りからは、ものすごく叩かれました。それでもこれまでやってこられたのは、地域の仲間と共に有機農業研究会を立ち上げて、共に消費者と顔の見える関係を大切にしてきたからです。父も1人ではできなかったと思います。

2006年には、有機農業推進法が国で法律として定められました。これで農薬を使う農業ではなくて、有機農業が広まっていくんだと思ったものです。私たちはいち早く有機認証もとりました。そんな中での2011年の原発事故です。私たちは、消費者の方との顔の見える関係を大切にしていたので、野菜やお米を直接届けていました。しかし、原発事故のあとは、野菜を届けても顔をみてくれません。嬉しそうでないのがわかり、だいたいその晩くらいに、野菜を買うのを止めたい、提携を解消したいと連絡が入るのです。配達に行くのが嫌でした。

しかし、一方では多くの大学の先生達が福島に足を運び、放射性物質の土と野菜への移行を検査してくれたところ、有機的な土作りこそが、放射線に打ち勝つことへの近道だと教えてくれました。もともと福島の土壌は粘土質の上に、有機農法による堆肥の投入によりセシウムが土に吸着してくれたんです。野菜が根っこからセシウムを吸わずに済んで、野菜の放射線量を検査しても、ほとんど検出されることはありませんでした。事故直後は放射性物質が降り注いで、野菜の表面についたものは洗っても落ちず、ほうれん草や小松菜から千ベクレルも出たのですが、そのあと蒔いた種からはほとんど出ることはありません。ただし、山のもの、キノコ、山菜類に関してはセシウムが今でも出ています。昨日、僕の家の裏で採れた栗を計ったところ、1キロあたり88ベクレルありました。

研究者の方々も、ぼくらの農法こそが福島の農地の再生につながると言ってくれたので、残ってくれたお客様のためにも野菜を作り続けようという気持になれ、今に至っています。

僕らは作ったら放射線量を計るということを徹底し、消費者の人にも伝えてきました。それで、なんとか持ち直してきているところです。まだ震災前の状況には至っていませんが、今は希望を持って仕事しています。

◆エネルギー生産で地域再生をめざす 

160923-%e5%86%99%e7%9c%9f福島百年未来塾(※)で学び考えるうちに、僕らは野菜は作ってきたけれどエネルギーは人任せにしていたというのを実感しました。そこで、エネルギー作物を作ってバイオガス発電ができれば、まさに地域循環型農業とエネルギー生産ができると考えたのです。特に不耕作地が増えているので、そこを活用できればと考えていました。

しかし、コストの問題があります。バイオマスタンクは日本ではまだまだ馴染みがなく、初期投資が高い上に、太陽光発電と違って燃料を毎日投入しないといけないためにランニングコストが必要ですが、それを賄う目処がたちません。

そういう中、ソーラーシェアリングを2年くらい前から考え始めました。下で有機農業をし、上で売電をするという方法を最初は信じがたかったのですが、実証されている方が川俣や南相馬にいらっしゃって、私たちも始めようと思うようになりました。

最初は、有機農家として売電はせずにオフグリッドの社会をめざしていましたが、今の技術でオフグリッドにするのは問題があるので、まずは売電してみて、どうなるかをみていきたいと考えています。

農家が発電していることに関心を持って、そういうことに好きな人が集まってくれないかと期待しています。農家だけではなくいろんな人が集まって知恵を出せるような場を作りたいというのが、僕の願いです。人が集まり、そこにコミュニティが生まれるといいなと。農業者の多くはJAまかせ、人任せにしている。でもだんだんJAに任せていても売れない、自分で販路を開こうとしている人が出てきています。そういう人たちともつながりてもらいたい。地域でも有機農業と我を張っていると誰もきてくれません。地域の農地は、いろんな農業者が集まって守るものです。だからみんなと共有できるものがあるといいなと思っています。まずはソーラーシェアリングを成功させて、その先にバイオマス発電で地域循環をぼくらは目指しています。

※福島百年未来塾:2012年から1年間かけて6回に渡り、APLAと二本松有機農業研究会で共催した企画。原発事故の被害を受けた福島の再生に向けて講演会・勉強会を開いた。

近藤恵さん

◆再生可能エネルギーが求められる時代に向けて

私は東京生まれですが、二本松に移住して有機農業に取り組み、ちぢみほうれん草がヒットして頑張ろうとしていた矢先に原発事故が起きました。

私たちが目指すのは、再生可能エネルギーと安全な農産物を生産して消費者の方に届けることです。生産で儲けることより、消費者の方に喜んでもらえるのが目的です。まだ米を口にするのは難しいという人もいます。だから、エネルギーなら喜ばれるのではないかと思って続けてきました。

%e3%82%bd%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%82%a7%e3%82%a2%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b02営農型発電。安全な農産物の生産を下でしながら、上空にソーラーパネルを敷いて発電する方法です。今回は低圧太陽光という1時間で最大50キロワット発電できるものを用いるので、だいたい15世帯分の発電をする予定です。1年間に6万5千キロワットから7万キロワットでしょうか。私たち有農研はメンバーが15人なので、ちょうど有農研が自給できるくらいの発電量となります。営農発電は各地にありますが、農業者団体が自分たちで所有し、農業者同士が「結」という形で造るということ。売電収入は新規就農者のサポートに使うという点が、二本松有農研の特徴と言えるでしょう。

私の好きな聖書の言葉に、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とあります。まさにこの言葉が、私たちが進む方向を表していると思います。大内さんのお父さんが有機農業を始めたころは、安全な農産物の生産が求められていたのですが、今は再生可能エネルギーが求められている時代に入ったのでしょう。若い世代が先輩から有機農業者としてのバトンを受けて、再生可能エネルギーの生産に向けて頑張っていきたいと思います。